平井山本陣

別名− 付近住所 三木市平井 現在 平井山
2004/5/8 碑・案内板アリ


今を去る400有余年前、時は天正5年(1577)主君織田信長から中国征伐を命ぜられた羽柴秀吉が、播州一円の攻略に当たっていたが翌年6月、播州三木の城主別所長治の討伐に向い、この平井山に本陣を構え、数千の城兵が立籠る三木城を十重二十重に包囲し、約3年の歳月を要して遂に陥落した。城主別所長治一族は、城兵の助命を請うて自刃し、東播の地は完全に秀吉の翼下となった。時は、天正8年正月17日である。秀吉もこの対陣中に軍師竹中半兵衛重治を失い、大きな痛手を受けたがこれが後年秀吉が自慢する三木の兵糧攻めであり、全精力を傾けて策略を練った本陣跡が此處である。